『「推し」に押されてリトアニア』刊行中止についてのリリースを訂正します
2022年に書籍『「推し」に押されてリトアニア』刊行中止についてお詫びのリリースを出しました。この件について、誤った認識が広まっていると考えております。弊社としては、当初はあまり情報を出さない方針であったのですが、様々な事情から方針を転換する必要に迫られました。
お詫びのリリースについては、曖昧で誤解を招く部分が大きかったため、ここに訂正をさせていただこうと思います。あわせて、その修正の根拠となる情報を公開していきます。
非常に長い文章ですが、『「推し」に押されてリトアニア』刊行中止と、弊社の今後に向けた姿勢についてご関心がある方は、是非ご一読ください。
今回のリリースに関係がある方で、異議などがある方はご連絡を頂ければ付記することを検討します。
連絡先:info@nishikasaibooks.jp
【謝罪文(2022年10月26日)】
書籍『「推し」に押されてリトアニア』刊行中止のお詫び
訂正前の文言についてはリンク先をご参照下さい。
【訂正後の謝罪文(2023年10月)】
西葛西出版代表取締役の中村慎太郎です。
五十嵐メイ氏を著者とする書籍『「推し」に押されてリトアニア』の刊行を中止することとなりました。
本書籍を楽しみにしていた読者の皆様に対して、心より謝罪をいたします。
<出版中止に至った経緯につきまして>
2022年10月24日夜に行った著者であり弊社業務委託の五十嵐メイ氏のTwitterスペースにて、五十嵐氏が泣き出す、無言になるなどの事象がありました。
発言内容については業務上妥当であったと考えていますが、スペースを聞いていた方などから多くのお叱りと、不快であるというご意見をいただきました。弊社ではこれを重く受け止めました。
今後について協議した結果、五十嵐メイ氏から弊社での出版は難しいという申し出がありました。弊社としても作品が埋もれていくのは本意ではないため、別の会社から出版する機会などがありましたら、原稿の引き渡し、資料や進行状況の引き継ぎなどをした上で、最大限協力することを約束しました。
2022年10月3日より行っていた先行販売も中止し、既にご購入の手続きをされている方には、返金をいたします(返金済み)。約束通りに書籍をお届けすることができなかったことを改めてお詫び申し上げます。
株式会社西葛西出版
代表取締役
中村慎太郎
【どうして謝罪文を訂正するのか】
2022年10月に出した謝罪文は、今後も五十嵐メイ氏と仕事をしていくことを前提として「速やかに騒動を収めるため」に出したものでした。
しかしながら、2023年2月に「これからも仕事をしていく」という前提が崩壊したこともあり、西葛西出版としては可能な限りすべての情報を開示し、出版社としての姿勢を示していく必要性が生じました。
SNSやメディアの影響によって、世間では「パワハラを行って無理矢理出版を取りやめさせた」という間違った認識が広まっています。
私、中村慎太郎は、パワハラは行っておりません。
『「推し」に押されてリトアニア』の出版については、完遂できるように最大限の努力をしたと強く自負しております。
にもかかわらず、我々が出した謝罪文を根拠として「パワハラをしたと自分で言っているからパワハラだ」と言われてしまうことになりました。これは誤った認識なので、リリース分を訂正する必要があると考えた次第です。
どうして誤った認識が広まってしまったのかを含めて説明しようとすると、登場人物が多く、事態が複雑なこともあり、どうしても長くなってしまうのですが、なるだけ丁寧に経緯をご説明しようと思います。
【このタイミングで謝罪文を訂正をする理由について】
最大の理由は、我々の活動に支障がでている点です。
例えば、取材で日本の各地を訪れると、必ず「パワハラ野郎来るな」という人がいて、「あいつと付き合わないほうがいい」と裏で言われるようです。それでも付き合ってくれる方はいますが、毎回同じ事が繰り返されるので、しっかりと否定する必要があると考えました。
西葛西出版および中村慎太郎は新著の発表を控えております。魂を込めて作った作品は我が子のような存在であり、その誕生の前に可能な限りリスクを減らすのは作り手としての使命だと考えています。
もちろん、批判は慎んでうけるべきですが、誤解に基づくものについては、しっかりと説明し、ご理解頂けるように努力する必要があります。この事案が発生して以来ちょうど1年なので時期としても良いのではないかと考えました。
我々としては、五十嵐メイ氏の要望である「早く風化させたいので何も言わずに黙っていてほしい」というものに寄り添う形でいたのですが、2023年2月以降は関係性が断絶しており、また、後述する出来事を踏まえて、要望に添う必要はないと考えました。
五十嵐メイ氏の今後の活動を阻害することが目的ではないことはここで強く申し上げます。むしろ、今回の件を早く精算して、次に向かっていくための契機になることを願って、この文章を公開します。
【五十嵐メイ氏との関係性について】
五十嵐メイ氏は、2019年にOWL magazineのライター募集に応募してきました。この時点では未経験でしたが、一つずつ書き方を教え、OWL magazineにおいてライターとしてデビューをしました。そのあとは、スポーツ記事などを中心に、OWL magazineに寄稿していました。
2022年10月までは、把握している限りではありますが、記名入りで発表する原稿の半分程度は、私が目を通し、コメントを入れたり、添削したりしていたと思います。
OWL magazineは、2019年2月から3年半「旅とサッカーを紡ぐWEB雑誌」としてnoteで展開していた有料マガジンです。当該事案があったときはリニューアル中で休刊していました。現在は西葛西出版が運営するWEBサイト、Youtubeチャンネルとして展開しています。
OWL magazine (Web site)
OWL magazine(Youtube)
2021年9月に西葛西出版を創業し、形式上、OWL magazineは事業の1部門となりました。五十嵐メイ氏は2022年3月頃まで寄稿しており、また、OWL magazineが著者として刊行した『〝サッカー旅〟を食べ尽くせ! すたすたぐるぐる 信州編』にも寄稿しています。
五十嵐メイ氏とは、2021年12月より「書籍原稿の作成」についての業務を委託していました。先行販売を行った2022年10月を基準として11ヶ月前です。
つまり、中村慎太郎は五十嵐メイ氏にとって、ライターデビューを手伝った編集者であり、原稿の依頼主であり、創業後は、業務委託の発注元企業の代表取締役でした。
未刊行となった書籍『「推し」に押されてリトアニア』では、執筆だけではなく、企画・編集も担当しています。
SNSやヤフーニュースのコメントを見る限り、こう考えていた方がいたようです。
「本の出版を夢見て原稿を持ち込んだ新人に対して、何の事情もしらない権力者(社長)が出張ってきて公然と批判し、夢であった出版企画を潰した」
もちろん、これは事実とはまったく異なっています。
では、実際にはどういう経緯であったのか。
【炎上した2022年10月のスペースについて】
このスペースは、クラウドファンディングサイトで展開していた『「推し」に押されてリトアニア』の先行販売に対する販促として行いました。
本来は、中村が出演する予定はなかったのですが、セールスが奮わず、目標金額を大きく下回っていたため、急遽企画されたました。
先行販売の目標金額は50万円に設定されていましたが、社内で定めた真の目標金額はより大きなものでした。
このスペースをしている中で、五十嵐メイ氏が何も話せなくなったり、泣き出してしまったりしたことで、これはパワハラであるという判断がリスナーに働いてしまいました。厳しい意見も頂きましたが、「著者のほうに覇気がなくどっちが著者かわからない」「あんなに優しい口調なのにどうして泣くのか」という声も頂いております。
「本を出版してビジネスをするべき出版社の社長が、どうして著者をいじめて出版させないようにしているのかわからない」と語られ、このスペースは、半ばミステリーのようになっていきました。
人によっては「泣くからにはパワハラがあったに違いない」と感じていたようですし、人によっては「暴言なんか言っていないのにどうして泣くのだろう」と不思議に感じていたようです。
【パワハラによって刊行中止になったという事実はない】
今回の件については「本を出版させないというハラスメント」を行ったと考える方が多くみられました。
確かに外からはわかりづらいので、そのように見えるのは仕方がないところがあります。なので丁寧にご説明していこうと思います。
五十嵐メイさんは、「初著書の発売直前、版元社長のパワハラ騒動で出版とりやめを決断 新人ライターの覚悟とは」というインタビューにおいてこう答えています。
この記事は、弊社には特に断りなく作られたものであり、弊社の意図はまったく入っておりません。後から記事が公開されたことは知らされましたが、拡散はしないようにとお願いされました。
「私へのパワハラは、多分あったと思うんです。ただ、社長には恩もあるし、愛情や熱量もあっての厳しさだと思っていたので、パワハラをされているという自覚が無かった。それに、苦しいことがあっても、本のためであればと我慢できていたので、パワハラが取り下げの理由ではありません。」
内容を摘要します。
・パワハラは多分あった(本人は自覚していない)
・パワハラは取り下げの理由ではない
というわけで、まず一番重要な「パワハラによって刊行が中止されたわけではない」ということは、五十嵐メイ氏のインタビューから明らかです。どうして刊行が中止されたのかについては後述します。
繰り返しになりますが、このインタビューは弊社の意思が一切反映されていないどころか、発表されるまで何も聞かされていませんでした。この記事が発表されたことも、本人から知らされることはありませんでした。
次にパワハラがあったのかについてです。パワハラの定義について見てみたいと思います。厚生労働省によると以下のようになっています。
「職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与えるまたは職場環境を悪化させる行為」
ここで問題になるのは業務の適正な範囲を超えているかどうか、精神的あるいは身体的な苦痛を与えていたかどうかです。本人はこう書いています。
「周囲」から、「あれはパワハラだ」と言われたという事実はあるのでしょう。だから、「自覚はないけどきっとあったのかな」
推論ですが、「周囲」の方は、業務の適正な範囲を超えていると考えたのではないかと思います。というよりも業務であることすら知らなかったといういうべきかもしれません。しかし、当事者である私と五十嵐メイさんは業務の適正な範囲内と知っていたわけです。
ここで問題になるのは「何が業務であったのか」についてです。
「五十嵐メイ氏への業務委託について」
五十嵐メイ氏は業務委託として西葛西出版の仕事をしていました。
期間は、結果として12ヶ月。
報酬は毎月20万円。従って、合計すると240万円です。
金額の根拠としては、聞き取りをした上で、他の仕事での収入とあわせて、十分生活していけると額面としました。
一般に出版を志す著者は、無給で原稿を書き、原稿が書き終わったあとに印税を受け取ります。しかし、今回のケースでは、こういった一般の事例とはまったく事情が異なっています。
月あたり20万円の報酬というと安く感じる方もいるかもしれません。しかし、拘束時間は設定されておらず、おおむね週に2〜3日の稼働を想定していました。ライターの報酬としては決して低い水準ではなく、周囲のライターやクリエイターに聞き取りしたところ、こういった好待遇は聞いたことがないと言われます。
その他の待遇について付記すると、出版関係のスクールの受講費、パソコンの貸与、旅費の支給などを別途行っていました。
従って、弊社として負担した金額は300万円程度と推計することができます。創業から2年目で、資本金100万円の会社としては非常に高額でした。
委託していた業務は「書籍の原稿を完成させること」です。のちに「先行販売などのウェブ上での販促」が加わりました。
つまり、「原稿を書くこと」と「本が売れるように販促をすること」が委託していた業務です。書店などに対する営業はやらないという意思が強かったため、ウェブのみとしました。
ここで我々の落ち度について書きます。業務についての依頼はチャットツールなどで簡易的に済ませていたため、しっかりとした契約書がありません。しかし、チャットツールでの連絡でも契約は成立しますし、当人も業務内容については認識していました。そして、契約不履行の際にどうするかについては話し合ってすらいませんでした。なので、今回の件の精算については、民法上の規定などにより判断することになりますが、本来は契約時にしっかりと話し合うべきでした。
「本を書くのが仕事」なのに、全然進まず、このままでは本当に困るということは何度も伝えてきました。しかし、最後まで原稿は完成することはありませんでした。
さて、どうしてこのような業務委託をしたのかについてご説明します。
私自身が、著者として、書籍企画に何度か取り組んだことがあります。
その間に本当に辛かったのが、今している仕事が翌月の収入にはならないことです。
膨大な時間をかけて原稿を書いても、原稿料が入るのは場合によっては半年や1年先になるわけです。これでは生活ができないと絶望したこともありました。その結果として、私は2点目の著作を世に出せないまま苦しみの日々を続けることになりました。
こういった経験があったため、西葛西出版から単著を扱うはじめてのケースとして「印税の前払い」として毎月報酬を支払うという方法を考えました。このようなクリエイターファーストともいえる試みは、出版業界ではあまり行われてこなかったはずです。
前払いとして月20万円はかなり大きい額面だと思いますですが、書籍を書くライターとして、これがどの程度の仕事量に相当する金額なのかわからないと思います。なので詳しく説明します。
まず、書籍に必要な字数は、本の装丁にもよります。我々が目指したのは6〜8万字程度です。これは、単著の文字数としてはかなり少なめです(このリリース文が4万字程度なので、これの1.5〜2倍程度の分量です)。
月20万円を支払うことで、時給1000円であれば200時間、時給1500円であれば133時間、働いてもらえる計算になります。時給換算の業務委託ではないのですが、月130〜160時間程度の仕事をしてもらえることが想定できます。
ライターが1時間にどのくらい書けるかについてですが、数年の経験があるライターであれば1時間に1000〜2000字を書くことは可能です。もちろん詰まって書けないことはありますが、一気に進むこともあります。
1時間あたり1000字のペースの場合、133時間で13.3万字。200時間で20万字となります。1時間あたり2000字であれば、133時間で26.6万字、200時間で40万字となります。
書籍原稿を進めるのはもちろん大変ですが、2〜3ヶ月の間、業務委託として原稿に集中してもらえれば十分にできるだろうと考えました。
次に、このような支払い方法がビジネスとして成立するのかについてです。印税とは、書籍の売上や発行部数に応じて、一定の割合の金額を支払うことを言います。今回のやり方は「印税の前払い」であるため、本の販売部数がどのくらい期待できるのかによって話が変わってきます。
まず書籍の価格は1500円(税抜)とします。
印税率は8〜10%程度が一般的です。弊社では10%を想定していました。
すると書籍1部あたりの印税は150円となります。
つまり、20万円という金額は1333部分の印税に相当します。
前述の通り、業務委託期間は2〜3ヶ月を想定していました。従って2666〜4000部程度販売することができれば何とかトントンになるという計算です。
もちろん前払い分を超えた印税が発生する場合には支払うつもりです。いわゆる買い切りの契約ではありません。
逆に、販売部数が足りなかった場合、弊社に赤字が発生します。例えば、2000部程度の販売に終わった場合には、赤字となります。
しかし、ある程度の赤字は、人件費として支払い人を育てることに繋がっていることと、弊社の中に出版のノウハウが蓄積されることへのコストと考えて、容認しました。
3000〜4000部という販売部数を達成するのは決して簡単ではありません。ましてや、フットサル日本代表という類書のほとんどない分野での書籍であったため、販路の開拓なども行う必要があります。しかし、絶対に達成できない目標ではありません。
目安として、サッカー関係の書籍はヒット作で1〜3万部くらい売れるとされています。中村慎太郎著の『サポーターをめぐる冒険』(ころから)は6000部程度のはずです(3刷)。
若干の赤字が出たとしても、次に繋いでいくという意味では価値がある挑戦であったと考えています。
魂を込めた良い本を作れば、何年経っても少しずつ売れていきます。
これは私の信念です。
五十嵐メイ氏本人も、ずっと西葛西出版で仕事をしていきたいという意思を我々に伝えていたため、少し足が出る分には問題がないと考えていました。
つまり、月20万円で原稿の執筆に集中すること、その期間の給与は「印税の前払い」であることが今回の業務委託契約です。
<業務の進展状況について>
「印税前払い」制度についてですが、結果としては大失敗でした。
もっとも、今回は失敗しましたが、まだ実績の多くない著者を育成していく上では良い制度ではないかと考えています。契約項目などを整備した上で、会社の財務状況が安定し次第、再度導入したいと考えています。
さて、原稿の執筆状況ですが、着手すると告げられたのが2022年12月11日でした。つまり契約から約40日後です。その期間に五十嵐メイ氏が何をしていたのかというと、弊社から刊行した『すたすたぐるぐる信州編』への原稿を書いていました。
この文章の作成は、業務委託した「書籍原稿の制作」とは別のものであり、原稿料と旅費を支払っています。この文章は8000字程度なので、ライターの仕事としては長くても3,4日で終えられるものです。取材済みであれば、3時間あれば終わる分量です。
8000字の原稿は、ギャラとしてはピンキリではありますが、WEB記事で安い場合は1〜2万円。雑誌や書籍など紙の仕事の場合には10万円程度になることもあります。こういった記事を毎月複数作っていくのがライターの仕事です。
この原稿に対して40日かかるのは想定外でしたし、そもそも書いて欲しいのはこちらではなく書籍原稿でした。しかし、弊社刊行の本ですし、なかなかエンジンがかからないこともあるかと考えました。
その後は信州本の原稿に赤ペンを入れて戻すというやりとりが続きました。最終稿が出来上がったのは2023年の3月13日です。契約してから約4ヶ月半が経過していること、その間書籍原稿はほとんど進んでいないことから、依頼外のことを進めている間に約90万円を支払ったことになります。その上で、取材経費と原稿料も別途支払っています。
どうしてこのようなことになったのでしょうか。五十嵐メイ氏が能力的に書けないのかというとそういうことはなかったと思います。2019年に未経験の状態で書いた文章が8000字程度であり、その時ですら1ヶ月も経たない間に書き上げています。では、意識的にサボタージュしていたのかというと、そうでもないのだと思います。もちろん、私がハラスメントをして妨害していたという事実はありません。
では、どうして書かなかったのでしょうか。
一つには、報酬が先に支払われていたため、書く必要がなかったからというのもあると思います。私は、性善説で、もらった分は仕事をしてくれるだろうと考えていました。しかし、ビジネスをしていく上では、性悪説を一度考慮した上で、契約を結んでおく必要がありました。この点は、株式会社としては大きな失敗であったと思います。
ただし、原稿を書いて引き渡す義務は、五十嵐メイ氏にあったものです。民法によると、引き渡し義務者である五十嵐メイ氏は、弊社に約束通りの品質または数量を引き渡す義務を負っています。出版の成否にかかわらず、仕事としては、書き終えて納品する必要があるわけです。
この業務委託について、最終的にどうなったのかというと、全体の7割くらいは初稿が揃っていましたが、完成にはほど遠い状態です。ここから編集者である私とのやりとりをすすめて、完成に近づけていくのですが、そのやりとりにすら辿り着かずに終わりました。全体の工程としては、多めに見積もっても4〜5割程度というところでしょうか。
私は、書籍は完成させるべきであったと思います。自費出版でもWEB公開でもいいので、作品を最後まで作って公開するところまで行かないと、何も成果物が生まれず、社会に対する文化的な貢献もできずに終わるということになります。
弊社としては、何とかお金の工面をして生活を担保した上で、原稿を書き進めてくれることを願っていました。
経緯に戻ります。
・2022年 2月
五十嵐メイ氏が、自分の表現を剽窃されたということで、リトアニア旅の同行者と揉めました。
この件については詳述しませんが、「解決するまで書けない」などと言われ、弁護士との相談に一緒にいったり、相手方の責任者タケゴラ氏と面談したりするなどしました。
この件は2ヶ月ほど続きました。
最終的にはあちら側の責任者タケゴラ氏に、こちらとしては不本意なリリースをされることになりました。リリース内で紹介されているDMは故意に切り貼りされたものであり事実とは異なります。
この件については法的措置を取ることも検討して弁護士に相談しましたが(現在の顧問弁護士とは異なる)、40〜60万円が想定される訴訟費用を払うよりも、五十嵐メイ氏の人件費にあてて書籍の完成を目指すほうが合理的だと考えました。
リリース文も何のことなのか意味不明ですし、あちら側の批判の矛先が、五十嵐メイ氏から中村慎太郎に移ったので、本人のストレスも減ったようです。すべては書籍が出てから解決するようにしようということで、この件は先送りとしました(終わってはいません)。
リンク:今回のクレームの件について
タケゴラ氏が主催していたメディアについては、このリリースを最後に活動が止まっています。意味不明なリリースを出したことによって、内部に問題が生じたとは聞いていますが、詳しくはわかりません。弊社と致しましては、この時点から当該メディアとは関わっていませんが、今後もこの記事を出し続けているのであれば、何らかの対応をする必要があると考えています。
この時期には、費用を弊社負担として、出版業についての講座にも通ってもらっていました。著書執筆後も、西葛西出版で仕事をしていきたいという意思を聞いていたため、社外研修を兼ねて通学してもらいました。
こちらは週1日で1コマであったのですが、この負担もあって原稿が書けないと言われました。もっとも、出席数は半分もいっていなかったと思います。
もちろん、週1コマの講義が負担になって原稿が書けないということはありえません。しかし、本人はそう言うわけです。我々としては、こういった事案について、強く叱責することもできず、かといって容認することもできず、このままでは駄目なことは伝えつつも、ただ励ますことしかできませんでした。
本来であれば1,2月の出版を目指していました。しかし、原稿がまったくないのでどうにもできません。計画を変更し、我々は『〝サッカー旅〟を食べ尽くせ! すたすたぐるぐる 信州編』に先に取り組むことになりました。
・2022年4月29日
ようやく初稿が提出されました。といっても最初の1章のみです。字数にすると5000字ほどであったと思います。この時点で、業務委託をはじめてから約5ヶ月が経過しています。
ようやく作品の元になるものはできました。
この時点の原稿では出版するレベルには達していませんでしたが、ようやく何かが出たことに少し安堵したのを覚えています。そもそも週2〜3日のコミットで、2ヶ月程度で十分終わる仕事です。遅くともあと1〜2ヶ月で完成するだろうと考えました。
・2022年 5月20日
五十嵐メイ氏が某フットサルクラブアンバサダーに就任。
・2022年 5月24日
『〝サッカー旅〟を食べ尽くせ! すたすたぐるぐる 信州編』の発売。
・2022年 6月15日
書籍原稿の初稿が4万字を超えました。
もちろん、字数こそ増えたものの、この時点で出版できるクオリティではありません。初稿の時点で原稿は完成せず、編集者と何度もやりとりをするのが一般的です。あくまでも初稿が30〜50%ほど揃ったという段階です。
この原稿には2つの課題がありました。1つは、前述の通り、著者が旅の同行者と盗作問題で揉めてしまっていることです。あとあと進行が難しくなるので和解することを強く勧めていたのですが、それは難しいとのことでした。
もう1つは、リトアニアへのフットサル旅だけだとテーマが薄いことです。それについては、書いているうちに何かが見つけることを期待していました。
ただ、アンバサダーの仕事が増えたのか、書くのに疲れてきたのか、何とか初稿レベルでは半分程度まで進んだものの、このあとはなかなか進まなくなりました。
オフィスに週2回訪れ、執筆時間とすることを提案しましたが、この時期は直前にキャンセルしたり、15時頃に来て18時頃には帰宅したりすることが増えました。またオフィスで作業を始めても、原稿以外のことをしていることが多く(弊社業務ではないもの)、原稿はなかなか進みません。かといって自宅で作業してくれるかというとそうでもなく、なかなか進行しませんでした。
・2022年 7月
編集者として既に来ている原稿を読みながら検討していると「「推し」を追っていく旅」というテーマが含まれていることに気付きました。「推し」というのはAKB48の総選挙があったあたりから言われはじめた概念です。「推し」のためなら何でもするし、「推し」を心の支えにして生きていくというのが現代人の価値観として、新たに生まれつつある時代です。
五十嵐メイ氏は、サッカーを見始めたころは「推し」を中心に観るという視点はなかったのですが、いつの間にか「推し」ができていて、仲間内で「推し」についての情報交換をするようになったと話していました。
とすると、リトアニアにフットサルW杯を観に行く旅というのは「推し」によってもたらされた旅ということになります。
「推し」がリトアニアにいるから、旅が苦手な女性が、無理矢理旅をするという筋立てができました。本来であれば「プル要因(引っ張られる)」なのですが、日本国内に引きこもる傾向がある、我々日本人にとっては「プッシュ要因(押される)」だと言えます。などと考えていると……。
『「推し」に押されるリトアニア』というタイトルができました。このタイトルは、ミーティング中に出たものですが、私にとっては、苦労の末で何とかひねり出すことができた愛着あるタイトルです。だからこそ何としても世に出したいと思っていました。
不足していた幹となるテーマが定まったので後は、それに従って書くだけでした。
しかし、ここで二つの問題が出てしまいました。
一つは、「リトアニア旅」のテーマが深まったことで、執筆難度があがり、さらに進みが遅くなったことです。それは1週間かけて1文字も進まないというレベルでした。実際にこの時点からほとんど進展しないまま企画は終了していきました。
「どうして書かないのか、サボっているのではないか」
そうは思わずになるだけ寄り添って進められるように努めました。それが出版社の仕事だからです。オフィスに呼び、栄養が不足しているといえば好きなものを食べてもらい、自宅まで車で送り……。
それでも進まない理由は「自信がないから」だと言っていました。私は「この原稿は面白いし、ちゃんと本に出来る。出版できたら世界が変わる」と伝えていました。しかし、後から聞きましたが、周囲には「中村さんは、原稿を書かせるためにお世辞を言っているだけで、本当は原稿が面白くない」と伝えていたらしいです。
業務委託という意味ではかなり厳しい状況ですが、クリエイターの心理としてはこれはわかります。
自分の書いたものが面白いかどうかには、書いているうちに自信がなくなっていきます。魂を込めて書こうとしているものであれば、そうなるのは当然だといえます。
物書きの先輩として唯一言えるのは、覚悟を決めてエイヤっとやってしまうしかないということです。しかし、そうはいっても書かない人に書いてもらうのは非常に難しいです。
そこで、さらにもう一つ、問題が生じました。
西葛西出版の資金がショートして、毎月の報酬が払えなくなりました。これは『〝サッカー旅〟を食べ尽くせ! すたすたぐるぐる 信州編』が予定よりも販売できなかったことが原因の一つですが、書籍の出版をする際のお金の動きが複雑で、会社として予測しきれなかったことが原因です。
根本的な原因としては、本来2月頃には発売したかったリトアニア旅本の制作が押していて、その間毎月の報酬が必要であったこともジワジワと首を絞めていました。
結局7月末に全額を振り込むことができず、何とか走り回ってお金を工面して、支払いをしました。支払いが遅れたことについては、五十嵐メイ氏からかなり厳しく言われましたが、そこで言い返してしまうと、ただでさえ進まない原稿がさらに進まなくなる可能性があります。平謝りをして、原稿に集中してもらえるように努めました。
・2022年 8月
何とか7月分の報酬を支払うと、西葛西出版は1期目末の決算を迎えようとしていました(9月創業、8月決算)。この決算作業は、税理士に依頼しないとできないことから、そこでも費用がかかります。
ランニングコストがあがっていく中、その費用を稼ぐために、私が受注するライター業を増やしました。なので、五十嵐氏の報酬は払えるようになったのですが、そこからもさらに亀裂が入ってきました。
私は月に40万円分の仕事を受注して、8万字を書いて納品することにしました。その隣で、五十嵐メイ氏の報酬を確保する隣で、「書けない」と言われてしまうと、どうしてもストレスが溜まります。私は8万字を書いているのに、五十嵐メイ氏は1文字も書いてくれないのです。40万円を売り上げても会社の維持費と五十嵐メイ氏への報酬として消えていきます。だから自分には一銭も入りませんし、家族にも負担をかける一方でした。
悪気がないのはわかっています。書くのに苦労しているのもわかっています。しかし、ライターは書くのが仕事なので、どれだけ書けなくても1日3000字くらいは書く必要があります。
また、西葛西出版の企画として、静岡県、島根県、福岡県のサッカー旅本を作ろうとしていました。本を作るのにはどうしても時間がかかるため、1つ作ってから次という形式でやっていくのではなく、同時並行でやっていく必要がありました。
この編集やオペレーションも中村がやっていたのですが、尋常ではない作業量に追われ、限界を超えかけていました。
・8月 富士登山
こういった非常事態の中で、ようやくエンジンがかかったのか、原稿が進み始めました。それはようやく訪れた実りの時でした。もう少しやりとりすれば出版までいけそうなレベルの原稿が、5万字程度まで集まりました(初稿の5万字が、編集を踏まえて書き直した5万字になった)。
気分転換と、静岡サッカー旅本の取材を兼ねて、中村、大城あしか、五十嵐メイ氏の3人で、富士登山にも行きました。
原稿の話などをしながら、3人で狭い山小屋に泊まり、途中で大城あしかの靴が真っ二つになり、中村は膝を痛めて途中でリタイアしました。
五十嵐メイ氏は一人で山頂にアタックすることになり、無事登頂に成功しました!!
これは、企画が最後には成功することを象徴しているように思えて、非常に嬉しい出来事でした。
今はもう跡形もないですし、今後関係が修繕される可能性は低いでしょう。しかしながら、この時は、我々3人は強い信頼関係で結びついていました。そして、本を作るという目標に向かって進んでいました。
富士登山については、現場で録音した音声をYoutubeに公開してあります。中村の下手くそな編集ですし、視聴回数も100回程度しか回っていませんが、一つの記録としてここにリンクを掲載します。
同じく8月には、弊社オフィスでBBQ大会をしました。10人近い関係者が訪れ、中村相手に敬語を使わない五十嵐メイ氏をみて、その信頼関係の深さに驚いていました。私はあまりそういうことを気にしません。年が上とか下とか、男性とか女性とか、そういうことは気にせずフラットに付き合う性分です。だからこそビジネスマンとしての振る舞いが甘く、そこが失敗に結びついたと言われると、その通りだと思います。そこは私の改善点です。
ただ、オフィスを訪れた皆さんには、なんて風通しのいい会社なのだと言ってもらえました。クリエイティブなものを作っていくためには、やはり何でも言い合える関係性と場作りが大事だと思っています。
もしも本を作ることなど目指さずに、かつ、無理な人件費の支払いなどもしていなかったら、五十嵐メイ氏は、今も仲間として笑っていたかもしれません。
このリリースを書くために、五十嵐メイ氏との会話ログをすべて読み返していたのですが、そこには確かな信頼関係があったと感じました。それは、嘘偽りがなく、純粋なる挑戦の物語でした。しかし、その旅路は決して順調ではなく、幸福な結末も迎えませんでした。
・2022年 9月 最後の2ヶ月
9月になる頃、五十嵐メイ氏に伝えたのは、今後はもう月の報酬が払えないということです。ここまでの支払額は180万円となり、書籍の販売益で回収するのは非常に難しい額になっていました。経営者としてはもっと早くこの決断をするべきだったと思います。
一方で、ここまで頑張ったから何とか原稿が形になってきたというのもあります。
8月までで業務委託を終えるか、このまま継続するか——。
決断したのは、あと2ヶ月だけ報酬を保証するということです。
代わりに、最後の2ヶ月は執筆の仕事に集中することと、少しでもお金を回収できるよう先行販売を担当し、Webでの販売促進に全力を尽くすことを約束してもらいました。赤字を出さないことは既に難しい状況ではありますが、この状況を打開することを目指して努力することに価値はあるはずです。
我々西葛西出版の使命は、書籍を出版し世の中に作品を残すことです。
同じく重要なのが、企業として利益を出していくこと。損失が出たのであれば可能な限り回収することです。
私がするべきことを整理します。
・ライター業によって五十嵐メイ氏に支払う分の金額を必死で稼ぐ
・決算費用を集める
・先行販売(クラウドファンディングサイトを利用)の準備を進める
・サッカー旅企画3本を同時並行で企画し、原稿を依頼していく
私事ながら、この1年は妻が大病をして入院し、その治療費を稼ぎ、かつ、家事と育児を一人でやることにもなっていました。
また西葛西出版の役員である中村と大城あしかは、この間無給でした。
利益が生まれていない中、経営側なので仕方がないことではありますが、限界まで頑張ってお金を工面して、五十嵐メイ氏に報酬を払っているのに、様々な理由によって原稿が書けないと言われ続けるのは正直言って強いストレスを感じていました。
何とか誤魔化しながらも先に進んできましたが、破綻へのカウントダウンは進んでいました。
先行販売の開始期日を決め、それに向けての締め切りも設定しました。既に五十嵐メイ氏への支払いによって会社の資金はなくなっているので、先行販売で120〜150万円を集めることができなければ書籍の出版は難しい、という状況に陥っていました。
というのも、書籍の印刷費、イラストなどのデザイン費、発送費などで100万円以上をみる必要があるからです。これは五十嵐メイ氏もよくよく承知していたことです。
この書籍の先行販売に失敗すると会社ごと破綻する。窮地の中で我々は勝負に出ました。もしかしたらこれは、大きな投資額に対して、損切りができなくなっているだけかもしれません。よくいうコンコルド効果というものであったのかもしれません。
しかし、ここで損切りをするのではなく、作品を成功させるほうに賭けました。
・2022年 10月
原稿の制作速度は、多少はスピードアップしたものの間に合わず、先行販売期間に突入します。もちろん余裕をもって間に合うように締め切りを設定していましたが、どうしても予定通りには原稿が届きません。
そのため、先行販売の準備は、元々は五十嵐メイ氏が先行販売の担当であったのですが、我々のほうでやることにしました。具体的には、文章や画像を作成することになっていたのですが、中村が文章を書き、大城あしかが画像を制作しました。
「推し」に押されて訪れたワールドカップリトアニア大会を本にする!
観るスポーツとしてのフットサルの魅力を全力で伝える!
この文章を書いて読んでもらうと「そう!これが私が言いたいこと!!」と言われました。それを受けて「だったら自分で書いてよ!!」と言って、3人で大笑いしました。
のちに「この素晴らしい文章を読んで応援しようと思ったのに、バカな社長のせいで潰された!!」という言葉を浴び続けることになるのですが、この文章を書いたのは私なので、苦笑いしながらやり過ごしていました。
先行販売については私が書きました。PR文を書くのは、出版社の仕事のうちと考えると不自然はないかと思います。しかし、書籍の本文については私が書く事は一切していません。だからなかなか進まなかったわけですが、そこは著者が頑張るしかありません。
先行販売の準備を進めるあいだ、五十嵐メイ氏は原稿に集中するということになっていました。しかし、それでも締め切りに原稿が間に合わず、スケジュールは押していきます。
私はというと『「推し」に押されてリトアニア』が発売後に、すぐ着手するつもりであった、静岡サッカー旅の取材として、「静岡県徒歩横断」に向かいました。『「推し」に押されてリトアニア』に目処がついてからと考えていたのですが、原稿が間に合いませんでした。
出発の一週間ほど前に、何度も何度も修正した制作スケジュールをまた修正します。出発日までに原稿を届けてくれたら、印刷したものを持ち歩き、徒歩旅の合間、夜の寝る前などに添削をして送り返すという約束をしました。しかし、原稿は届きませんでした。
私は私の取材のため、静岡県を徒歩で横断するという身体を張った企画に挑戦し始めました。
リトアニア本がすべて終わってから着手すれば良かったのにと思う方もいることでしょう。今回の場合は、もしかしたら、それが正解であったのかもしれません。しかし、取材のタイミングは逃すわけにはいきません。サッカーのシーズン中に取材に行っておけば、オフシーズンの間に制作を進めることができます。
・先行販売突入
2022年10月3日、先行販売が始まりました。
しかし、順調な滑り出しとは言えませんでした。
西葛西出版でこれまで行ってきた先行販売よりも売上が稼げず、また著者である五十嵐メイ氏も積極的にPRができない状態になっていました。
それは、五十嵐メイ氏が自分で言っていたことです。原稿がまだ完成できず、原稿を書くことと、PRすることの両立ができないという理由でした。どちらかが出来ていることもなく、両方できなくなってしまって共倒れになったということです。
ただでさえ作業時間不足であったのですが、この期間はさらに減りました。
約束したTwitter(当時)でのスペースは何とか開催してくれていたのですが、聞き手に回ることが多く、自著のPRができないまま終わってしまうため、どうしても購入へと結びつきません。
通話して聞き取りをすると「とにかく自信がないからPRできない」という趣旨のことを言っていました。
原稿の内容については、少しずつですが良くなってきていました。歯を食いしばって最後まで詰めていけば、出版はできたはずですし、賞を狙うことすらもできたと思います。しかし、どう考えても作業時間が足りていません。
この時点で、みんな疲れ果てていました。
我々全員、経験豊富な出版業界の人間ではありませんでした。よちよち歩きの会社で、これまで経験したことがない挑戦をしていました。五十嵐メイ氏も、手は動いていなかったと思いますが、プレッシャーを感じ続けていたと思います。私は私で、未経験の事柄を両手一杯に抱えていたので、パンクしそうになっていました。もっとも私の場合はそれを望んだわけなので、厳しいながらも楽しくやっていましたが。
しかし、先行販売がうまくいっていないことに強い焦りを覚えていました。
売上が100万円まで伸びたとしたら、手数料を引くと80万円が残ります。これだけあっても、印刷費、イラスト代、デザイン費などに足が出ます。このくらいあれば何とか戦えます。多少足りない分は何とか仕事を増やして工面すればいいからです。
しかし、その時はまだ30万円程度の売上でした。とすると、入金されるのは24万円程度なので、まったく足りません。
何とかしなければいけない。
しかし、自分にできることはなんだろうか。
そう考えた結果に思いついたのが、先行販売の終了数日前に、緊急で自分がTwitterのスペースに登壇することです。
私が言いたかったことは「内容は面白いから自信を持ってPRしよう!!」「著者が強くPRするのが最高の販促!!」ということでした。
しかし、それを聞いて五十嵐メイ氏は無言になり、泣き出してしまいました。
わかっているんだけど、疲れ果ててできない、自信がなくてできない……。そういう心情であったのだろうと思います。
いつもの五十嵐メイ氏であれば、ため口まじりで軽快に反論してきたことでしょう。もしも会社の資金繰りという重いプレッシャーがなければ、私のほうも、もう少し軽いトーンで話せていたかもしれません。
普段の五十嵐メイ氏は、私に対して躊躇なく怒りますし、かなりきついことも言います。しかし、この時はもう、限界であったのでしょう。
著者である五十嵐メイ氏の様子がおかしいことで、それはパワハラに違いないということで大炎上になりました。
出版社の社長が、頑張ってきた若手の女性ライターの企画を、潰している。本を出させないと脅しているという風に捉えられてしまいました。
またイラストを担当することになっていた”りおた”氏が、「パワハラだ」と断定して、SNSで拡散していったことで、騒ぎは非常に大きなものになっていきました。
りおた氏は、五十嵐メイ氏と仲良くしているイラストレーターで、彼女が今回の企画には是非お願いしたいということで、繋いでもらいました。
りおた氏は「五十嵐メイ氏が泣いているのを聞いて、彼女がパワハラを受けている。それが今だけではなくこれまでずっと日常的に続いてきた。許せない」と思ったのかもしれません。
確かに、そう見えたかもしれません。しかし、実際にはそうではありません。
単に限界だったのです。
私のほうも、その日までの5日間で130kmを歩いていたので、疲労のピークでした。であれば、スペースをやらなければ良かったのですが、それでも何か手を打たないといけないという思いが強かったのです。
【刊行中止の真実の理由とは】
当日スペースを終えると、聞いていた方は、この騒ぎを拡散させていく方向で動きました。中村慎太郎と西葛西出版は、パワーハラスメントを行った社会悪として叩かれていく方向へと向かっていきました。
特にこの企画のインサイダーであった”りおた”氏がSNSでさも事実かのように拡散したことは、物事を確定的にしていったように思います。
りおた氏は、我々西葛西出版から事情を聞くことなく、イラスト制作の仕事から降りると通告してきました。
また、デザイナーを務めることになっていた鈴木彩子氏についても、弊社の話を聞くことなく、今後一切弊社と付き合わないとSNSで宣言しました。
また、これまでに制作したデザインを流用させないことを通告してきました。シリーズものであることは伝えてあったし承認されていたはずなのですが、書面がないから無効と主張しました。
これによって『すたすたぐるぐる』シリーズの続編の制作が難しくなっています。これが会社に対する非常に大きな打撃となりました(後述)。
この会話は、スペースがあった24日の翌日にLINEグループによって行われました。参加者は、中村、五十嵐メイ氏、りおた氏、五十嵐メイ氏です。
スペースの後、五十嵐メイ氏はある種のパニック状態にあったのかもしれません。私とのやりとりは深夜まで続きましたが、書籍の出版をどうしても中止したいと要望を出されました。
理由としては「りおた氏がイラストから降りたので、もう続きは書けない」というものでした。
私は、絶対に出版をするべきだと言いました。りおた氏が誤解しているのであれば、説明して、説得すればいい。どうしてもやれないということで、イラストレーターやデザイナーが降りるなら違う人を見つければいい。
ここまで頑張って作った本は絶対に出すべきだと言いました。しかし、「説得はできないし、説明もできない。りおた氏は、中村と直接対話することもできないくらい怒っている」ということで、話し合いの場を設けるのも不可能だと言われました。そもそも五十嵐メイ氏に紹介されたイラストレーターなので、編集者である中村と信頼関係がなかったのもよくなかったと思います。
五十嵐メイ氏は、西葛西出版よりもりおた氏との関係を優先したいということでした。
どうして、これまで報酬を支払ってまで支えてきた西葛西出版よりも、りおた氏との関係性をとるのか。それについては納得がいかないところでしたが、私は刊行中止を承諾しました。
書きたくないという人に書いてもらうのは不可能だからです。それにフットサル界隈で、仲のいいみんなと楽しくやっていくのが、彼女にとっての理想郷であり、そこを最優先したいということを、誰よりも深く理解していたからです。
それが、彼女の表現したいものであり『「推し」に押されてリトアニア』の世界でした。
ただ、経営者としては、ここまでコストをかけてきたものを中止にすることはできないと伝えるべきであったかもしれません。そのコストをどうやって回収するかについて、即座に頭をはりめぐらせる必要があったはずです。しかし、それはできませんでした。
我々は全員疲れ果てていたのです。
付記すると「りおた氏が降りるから書けない」という理由は数日すると変わって、「フットサルについて暴言を言われたから」ということになりました。最後には「先行販売の返金希望者が出ていて、返金を希望されるような本を出すことはできない」という話になりました。
誤解された状況が続いている中で返金申請をすることには不自然はないと思いますが、それを根拠として出版自体を中止するというのは、私には理解しかねます。
スペース内では、以下のような趣旨の発言をしています。
「現在はサッカー本を出してもなかなか売れない。だからサッカーの本を扱う出版社は少ない。そして、フットサル本はさらに市場が小さいので難しい。だから、覚悟をもってPRしないと成功することはできない」
こういう趣旨のことが言いたかったのですが、フットサルファンからすると「フットサルをバカにするな!!」という意味に思えたところはあったのだと思います。
しかし、これはただの事実です。実際にフットサルについての読み物がどれだけ世の中に売られているかというと、現状では類書がありません。従って、PRはどれだけやってもやりすぎということはないのです。
さらに言うなら、どんな大出版社から出そうと、どれだけ人気者が書こうと、著者本人が売る気がない本は売れません。堀江貴文さんも、西野亮廣さんも、書店をまわって書店員に挨拶したり、SNSでPRを続けたりする中でベストセラーを作っています。
1年に500店も書店が閉店していく時代です。25年前には約2万店舗あった書店は、7000店舗ほどまで減少しています。本が勝手に売れていくということはありません。そんな時代に本を出すには、著者が強くPRすることが必要不可欠です。
もっとも、五十嵐メイ氏はその点についてちゃんとわかっていたはずです。なので、その点についてクレームをもらったことはありません。あくまでもリスナー側が「著者は書くのが仕事、売るのは出版社の仕事なのに責任転嫁している」と考えたわけです。
そもそも、フットサルについての読み物を作ろうとしたことが経営判断として誤りであったという批判はあることでしょう。また、PRについては会社がするべきことで著者がするべきことではないという批判は実際にありました。
ただ、PRについては本来五十嵐メイさんが担当者であり、準備期間も十分にあったことは前述してきた通りです。
この炎上については、私は楽観視していました。
世の中の炎上という現象は、数日すればすぐにみんな忘れていくものだからです。実際にパワハラをしていたという事実があれば確かに問題なのですが、その前日まで笑いながら仕事をしてきた仲間なので、そういうことはないと考えました。
誤解を解けばいいし、すぐに立ち上がって前を向けばいいということでした。
実際のところ騒ぎは2日でおさまりました。いや、おさまったかのように見えました。
本の出版についても、ちゃんと内容は出てきたので、最後の踏ん張りをすれば世に出せるはずです。しかしながら、本の出版をどうしても中止したいと五十嵐メイ氏から強く言われました。
聞くところによると、「西葛西出版のような会社から本を出すべきではない」と友人から強く言われたそうです。恐らくそれは返金を強く希望した方なのではないかと思います。
このあたりで話の様相が変わってきました。
本来は西葛西出版と五十嵐メイ氏が本を出すか出さないかの問題であり、既に支払った「印税の前払い」についてどうするかを考えるだけの話でした。
しかしながら、このあたりから、この機会に乗じて憎き中村慎太郎を叩き潰そうという勢力が現れました。
五十嵐メイ氏としては、はやく沈静化したいと考えていて、私もその希望に沿う形でなるだけ波風を立てないように動いていたのですが、事態は異常な方向へと進展していきます。
・スペース翌日
翌日、私は旅を続行することにしました。
静岡横断旅は、最後の藤枝から磐田までの約50kmの行程が残っていました(新所原→磐田は別日の行程で終わっていた)。
「パワハラをして女性の著者を潰しておいて、自分は気楽にウォーキングか!」という風に言われたようですが、そういう事実があるわけではないですし、ここで自分の取材を止めてしまうと、西葛西出版から出す本がなくなってしまいます。
五十嵐メイ氏はもう書きたくないと言っているし、書きたくない人に書いてもらうのは困難です。善後策は会社のメンバーと考える必要はありますが、そこは本人次第です。これまでは書きたいというから書いてもらっていたわけですが、それでも書けませんでした。書けないとなった以上、もう書くことはないでしょう。
その日はほとんど眠れないまま、まだ暗いうちに出発しました。
会社の社長としては速やかに帰宅して対応するべきであったという意見をいただきました。しかし、著者、作家としては取材を途中で止めるべきではありません。
ここは葛藤がありましたが、私は何度やっても自分が著者であることを選んだと思います。
途中、何度も立ち止まって、西葛西出版のメンバーとオンラインミーティングをしました。そこで役割が決まったのが、OWL magazineのメンバーについては業務委託であった薄荷氏が説明をするので、中村は対外的なところをみるということになりました。
会社として、事態の推移をみつつ、世間をお騒がせしたことに対する謝罪文を出すことにしました。
ここで一つ誤算がありました。
出版の中止をこの時点で発表する必要はなかったのですが、決まったことは速やかに決着を付けたかったこともあり、本の出版中止を簡易的にSNSで発表しました。そのほうが五十嵐メイ氏としては気が楽だろうと考えたからです。というのも、弊社から本の出版をするべきではないと色々な人から言われるので苦労していると言っていたからです。
私は本を出すべきだと主張していて、五十嵐メイ氏は本を出したくないと断固拒否していました。
これが事実なのですが、世間には「本を出したい著者が逆らったから、途中まで取り組んだ企画を潰された!!パワハラだ!!」と伝わってしまいました。五十嵐メイ氏は「何としても本を出したい」と考えているのが、第三者的には自然な見方です。にもかかわらず、どうしても本を出したくないと言っています。だから、そこには継続的なパワハラがあったのだろうと周囲は推測するわけです。
そして普通は、著者は無償で書いていて、まだ収入を得ていません。なので、収入を得る前に企画を潰されると著者としては大損害をこうむります。ただ、事実としては逆です。どうして出版社側が、何百万もかけた企画を中止したいと思うのでしょうか。
このあたりは炎上騒ぎが少し進む中でも、不思議に思う方が多かったようです。だから、謎の事件と言われていますし、こうやって詳細に報告する必要があると考えました。
また、五十嵐メイ氏は、印税の前払いとして支払っていた240万円については、返還する必要がないと考えていていたようです。だから、書籍の企画はここで中止する方が労力も少なくてすみます。
我々としては当然、お金のことについてはあとでしっかり話せるのだろうと思ったのですが、そこも後回しになりました。
その点についてはしっかり話合い、双方納得すれば、我々の損金になったとしても容認することもあったかもしれません。しかし、今はそのように収めることはできません。このあたりは、後述します。
私は相変わらず静岡県を歩いています。藤枝から磐田へのロングウォークはとてもつらいものでした。精神的にも肉体的にも限界を超えそうでした。ただ、最後までやり抜いたので、企画として成立しました。この時の一連の旅は、『君がJリーグを認めるまで、僕は歩くのをやめない』の外伝、エピソードゼロとして本にまとめることを検討しています。もしもあの時、藤枝で歩みを止めてしまったらこの企画は世に出ることはなかったでしょう。
逢来橋を渡ったあと、西葛西出版から本を出す相談をしていたOWL magazineのメンバー、リセルさんが連絡をくれて「中村への信頼は揺るがない。私が本を出して西葛西出版の名誉を回復します」といってくれました。島田市のお茶畑の中で、不覚にも泣きました。
現在はJ3女子大生Youtuberとして活動しているのんちゃんも、大城あしかにDMをくれました。
「社会的には中村さんが一方的悪みたいな構図になっちゃってると思いますが、これからもお世話になるつもりなので、あしかさんにはどうか近くで支えてほしいです。(誰目線だよって感じですが苦笑。) なので今回のをバネにもっと西葛西出版が上手くいくように頑張りますから!とお伝えください!!!」
我々には仲間がいます。そう考えました。だから、まさかあんなことになるとは思ってもいなかったわけです。
私は作品作りのために全力を尽くしてきました。
もちろん至らないこともありました。
いや、むしろ反省することばかりです。
しかし、毎月の給料を払うために、納品する記事を作り続け、会社を運営してきました。その間、役員報酬は1銭も発生していません。正確にいうと経理上発生させたことはあるのですが、2人とも総額としてはマイナス200万円ちかくとなっています。それでも、五十嵐メイ氏の本を世に出すために、歯を食いしばってきました。相棒の大城あしかについても同様です。
お金は厳しいけど、今は頑張ろう。きっと五十嵐メイ氏もどこかでブレイクスルーをおこして良い作品を書いてくれる。そういって頑張ってきました。
努力すれば報われる。頑張っている姿は誰かが見てくれている。そういう甘い考えがあったのでしょう。
そうして出来た隙に対して、恐ろしい攻撃を受けることになります。
【謝罪文(訂正前)作成の経緯】
磐田駅に着いたあと、その日のうちに帰宅し、翌日は炎上対応をすることにしました。といって、私が文面を制作したのですが、それでは軽すぎるということになりました。
そう主張したのは、社外取締役になることが内定していた屋下えまさんです。
とにかくすべては中村の振る舞いに問題があったということで決着を付けることにしました。それが一番わかりやすいし潔いからです。そして、書籍の制作を3ヶ月間中止するというペナルティを自らにも課しました。実質上の業務停止です。
ただ、少しネタばらしをすると、この期間にも著者がそれぞれ文章を書く事はできるので、完全に会社が止まるわけではありません。
このリリースを出したあと、中村がすべての責任を引き受け、西葛西出版の名誉と信頼という意味では地に落ちる形になりました。
しかし、評判は落ちたままでは終わりません。というのも、五十嵐メイ氏が「私が何とかする」と言ってくれていたからです。「そっちは私が何とかするから、今は何も言わずに黙っていて。荒れると困るのでツイートもしないで」という要望がありました。私は素直に従うことにしました。この時、まだ我々は信頼関係のある仲間であったからです。
五十嵐メイ氏の願いとしてはとにかく早く沈静化させたいということでした。というのも、本人がパワハラを訴えたいわけではないし、そもそもパワハラを受けていたという認識もありませんでした(前述)。書籍の刊行も、自分がやめたいのであって、会社にやめさせられたわけではないからです。五十嵐メイ氏としてはもうすべて終わりにしたかったのでしょう。
ところが、事態はおかしな方向へと進んでいきます。
【押し寄せるコタツ記事】
まずは、スポニチアネックスに記事が載りました。この記事は現在は削除されていますが、Twitterのポストなどを拾って作られたコタツ記事です。スポーツ新聞にこういった記事が載ったことで、ヤフーニュースになります。
ヤフーニュースにはコメントがつきますが、ご存じの通り、コメントに信頼性はありません。しかし、そのコメントをソースにして、まとめ記事が作られていきます。
また、女子サカマガ (WE Love 女子サッカーマガジン)というメディアを主催する石井和裕氏が何を思ったのか、この騒ぎに乗じて「中村慎太郎は女性蔑視主義者だから距離をおいている」とTwitterに投稿しました。
石井和裕氏の著書には、寄稿をしたことがありますし、西葛西出版刊行の書籍も女子サカマガ (WE Love 女子サッカーマガジン)で紹介してもらったことがあります。どうしてこのような発言をしたのかわからないのですが、この発言によって「中村慎太郎は女性蔑視主義者でありパワハラをした」というまとめサイトが作られていくことになりました。
我々が調べた限り、女性蔑視という単語を使ったのは石井氏のみであり、また、女子サッカーについてのメディアを主催している人物であるため、一定の信憑性があると世間に伝わったのかもしれません。
「女だから文章など書けん!」といって出版社社長が乱入してきて、書籍の刊行を中止させたという風に報道されてしまうと、メチャクチャです。そもそも、女性に文章が書けないのであれば、どうして女性が著者の本が企画されるのでしょうか。
私は他人を差別主義者に認定するのは強い根拠が必要だと考えています。私のどこにそういった要素があったのか、それが社会的に正当なものであるのかについて、石井和裕氏から説明があって然るべきでしょう。
そもそもスポニチアネックスにコタツ記事が書かれたのはどうしてなのでしょうか。それについては五十嵐メイ氏がいっていました。
「リークして、記事を書かせた人がいるんだよ……」
それが誰なのかはうっすら教えてもらいましたが、西葛西出版と中村慎太郎を燃やし尽くして、抹殺しようと考えた人がいたようです。
五十嵐メイ氏はそれが誰なのか知っていたようですし、なら止めてくれよと思ったのですが、弱っている状態では抗えなかったのかもしれません。
ただ、これについても、私としてはあまり気にしていませんでした。事実とは異なるので訂正すればいいからです。五十嵐メイ氏が「あの人は作品と関係ないお偉いさんではなくて、ずっと一緒にやっている編集者で、女性蔑視なんかしていない」と言ってくれれば済むことです。
そして実際に、そういう発言を、機を見てすると我々には告げていました。彼女が常に言っていたのは、「もう少し待って」です。
「今、私が何かいっても、無理矢理社長に言わされると思われるから今は言えない。落ち着くまで待ってほしい。」
私は大人しく待つことにしました。
【有志の離反と黒幕としての宇都宮徹壱氏】
私が発言を止めている間「黙っていないで発言しないとソ連みたいに崩壊しますよ」と投稿したのが宇都宮徹壱氏です。
宇都宮徹壱氏には直後にメッセージを送って状況を説明していますが、どうしてこういう投稿をしたのか不思議でした。
同じくして、私と大城あしかは、屋下えま氏から都内某所に呼び出されます。
そこで告げられたのが、当時のOWL magazineのメンバーからの言葉です。
「今回の件は容認できないが、中村がしてきた仕事だけは評価する。OWL magazineの名前と仕事は我々が引き継ぐ」というメッセージでした。
これについては明瞭にNOと言いました。OWL magazineは私が立ち上げたメディアで、代表は私でした。原稿料はすべて中村の個人事業として払ってきていますし、中村自身は原稿料も管理料もとっていません。ただ支払うだけの組織でした。それなのに名前を持って行かれるというのはショッキングな話で、流石に容認できません。
さらに「宇都宮徹壱氏が、西葛西出版について書くので、その前にOWL magazine有志として声明を出す」と言われました。
我々としては、屋下えま氏は、社外取締役に内定していたこともあり、我々のために動いていると考えていました。しかし、この時、強い違和感を覚えました。しかし、屋下氏とは、もう20年近い付き合いなので、おかしなことにはならないだろうと思っていました。
数日後、突然、当時の編集長である斉尾俊和氏から、OWL magazine有志として出す文章の通知がありました。これはあまりにも唐突でチェックする時間も、対応する時間もありませんでした。
リンク:
OWL magazine有志による、中村慎太郎氏の一連の行為に対する意見表明
このリリースを読むと、五十嵐メイ氏だけではなく、OWL magazineのメンバーにもパワハラをしていたのだろうというように読めます。だから、このリリースにより、さらにパワハラをしていたという印象がついてしまいました。もちろん、そんな事実はありません。
自宅に招いて仲良くBBQをしたり、カレーを食べたりしていたので、私は仲間だと思っていました。しかし、この有志のメンバーは、宇都宮徹壱氏の、文章が出る前に、泥船から離れようと思ったのでしょう。
この件で恐ろしいことは3点あります。
・OWL magazine有志という人達は中村から直接事情を聞こうとしていないこと
・西葛西出版の業務委託である薄荷氏が連名していること
・社外取締役内定の屋下えま氏も連名していること
このリリースに連名したのは以下の人物です(敬称略)。
斉尾俊和
豊田剛資
高木けんすけ
キワタユウ
KAZZ
Harako
さかまき
J3女子大生のんちゃん
リセル
もりたくろう
(後に撤回、削除)
屋下えま
薄荷
薄荷氏は、OWL magazineは任せてください、と言っていたのですが、どういうわけか有志側として署名を出し、同時に、11月以降に西葛西出版から請け負う予定だった仕事をキャンセルしました。
屋下えま氏も、社外取締役はできないと通知してきました。
また、リセル氏は「西葛西出版の名誉回復のために頑張る」と言ってくれたし、J3女子大生としてYoutuber活動をはじめるのんちゃんも、大城あしかにDMし「西葛西出版と共にある」と話してくれていました。
それなのに突然背後から攻撃を受け、これによって世間の認識としては、パワハラが確定してしまうような形となりました。
このリリースによる社会的なダメージと、我々の心理的なダメージは非常に大きく、OWL magazineのメンバーでありながら、声がけすらされなかった大城あしかは意気消沈し、うつ状態となり、心療内科を探すことになります(コロナ禍による需要増で結局予約はとれず、3〜4ヶ月後に何とか回復)。
これだけならばいいのですが、中村慎太郎と10年来の交流があり、個人事業主として西葛西出版と取引をしていた宇都宮徹壱氏のリリースも大きな打撃となりました。
のちに五十嵐メイ氏から「私もリリース文を事前に送られていたんだけど、疲れ切っていてチェックしきれなかった。止めるべきだった。ごめん」という趣旨のことを言われました。
中村が五十嵐メイ氏をハラスメントで潰したと言われる中、両者はまだ信頼関係にあり、連絡を密に取り合いながら対応を考えていました。
そして、宇都宮徹壱氏のコタツ記事が出ました。
「新人ライターのデビュー作はなぜ潰えたのか? 焼き尽くされた信頼と「文化祭的」経営の限界」
この記事の問題点は、西葛西出版にも五十嵐メイ氏にも取材をせずに断罪していること、私の名刺を無断でサムネイルに使用していること、根拠なくパワハラがあったという前提で進めていることなど多数あります。
この記事は我々に献本をされていないので、我々は購入して読む羽目になりました。そういった点からも非常に攻撃的な印象を受けました。
そもそも、仮に中村に大問題があったとした場合、直接言うべき話であってWEB上に公開するべきではありません。宇都宮徹壱さんは中村よりもずっと年が上で、業界では実績もある大御所ライターです。立場が上の人物が、人前で公然と叱りつけるのは、紛れもなくハラスメントです。
ましてや有料記事として売るというのは論外です。
こういったことを無意識にする人物がハラスメントについて苦言を呈するというのは、まさしくブラックジョークです。
この時の私はパブリックエネミー状態であったため、叩けば叩くほど有料マガジンが売れると考えたのでしょう。この記事については、称賛よりも批判が多いようでしたが、この記事によって有料購読者が増えたことを宇都宮徹壱氏は嬉々としてポストしていました。
私は、タクシードライバーをして働きながら、他の著者よりも高額な宇都宮徹壱氏への原稿料を支払い続けてきました。また、奥様のイラストと、宇都宮徹壱氏の文章をコラボする企画を考え、企画書を作っていました。
だから、この投稿は本当にショックでした。
引用
「実は私自身も、件のスペースに20分くらい参加していたのだが、「俺が育ててやったんだ」とか「本を出させてやるんだから」と言わんばかりの中村氏の不遜さが不快に感じられ、途中で聴くのを止めてしまった。ハラスメントをたっぷり含んだ土壌から、文化なんてものが生まれるわけがない。西葛西出版からの撤退という、五十嵐氏の判断は、結果として正しかったと思う。」
どうしてこんなことを書いたのでしょうか。かつて宇都宮氏が主催していた「徹マガ」の企画で、若手著者を育てる徹マガインディーズという企画があり、そこで若手著者を育てていたのですが、飲み会での絡み方がよくなくて離反されていったことがありました。私も酔って絡んでいるところを目撃しています。もしかしたらですが、そういった経験がフラッシュバックした可能性があります。なので、好意的な見方をすると、自分自身のことのように刺さったということなのかもしれません。
徹マガの最後を締めくくる打ち上げにも、当時の編集長を呼ばず、それがあとで露見してハラスメントだと非難されました。徹マガは「宇都宮徹壱と元編集長の2人で作ったプロジェクト」といいながら、その人物を打ち上げには呼ばないという行為があったメディアには、ハラスメントのにおいがプンプンします。
ハラスメントをたっぷり含んだ土壌から、文化なんてものが生まれるわけがない。徹マガからの撤退とい、元編集長氏の判断は、結果として正しかったと思う。
このように過去の自分の痛い経験にむけて言っているとしたら、これはブラックジョークではなく、非常によくできた自己批判であるといえます。実際にその方はいまは精力的に活動をしていて、大きく羽ばたいているといえます。
弊社について批判するのであれば、過去の自分についての反省とは切り分けて書いて欲しかったと思います。
宇都宮徹壱氏の不誠実さとして現れているのは、五十嵐メイともう1名、西葛西出版で企画を進めていた書き手に出版社を変えるように勧めたことです。10点以上出版している宇都宮氏がハラスメントがあるからやめろといったら、それはやめるほうが自然です。
その上で、別の出版社や編集者を紹介するなどはしてくれなかったようです。そうしていれば、企画が消滅することはなかったと思います。結果として、両企画とも幻と消えました。
また、弊社から刊行予定であった、静岡、福岡、島根へのサッカー旅企画も潰えました。著者になる予定だったものに離反声明を出され、主力であった宇都宮徹壱氏にこんなメッセージを出され、さらにはデザインをしていた鈴木彩子氏には転用の禁止を一方的に通告されているので、このまま作ることはできません(鈴木彩子氏とは、続編を作る際に、弁護士を通じて話し合っていく予定です)。
有料マガジンを売るためにゴシップに手を染め、複数の企画を潰したのは誰なのか、もう一度考えて頂きたいです。
宇都宮徹壱氏は、我々と仕事をしながらずっとこういう考えをもっていたことがわかったのはショックでした。ただ、実はこの機会に西葛西出版を叩き潰そうとしたわけではないこともわかりました。宇都宮氏は、いわゆる「天然」なのだと思います。
引用
「2)中村氏個人の問題が、法人の問題にすり替えられたこと」
本件に関する西葛西出版の謝罪文に《弊社ではこれを重く受け止め、スペースの終了直後に、中村から五十嵐氏に謝罪をいたしました。》というくだりがあった。なぜ、重く受け止めたのが「私」ではなく「弊社」なのだろう? それが私には、どうにも解せなかった。
文中に《すべての原因は中村の発言にあるのは明らかであり、弁解のしようもございません。》とある。であるならば、主語を「弊社」ではなく「私」として、個人のnoteで謝罪すべきではなかったか。」
一般に、法人の代表としてのほうが立場が重く、法人の代表として謝罪するほうがより正式な謝罪であると思います。しかし、このような書き方をするのは、宇都宮徹壱氏が、株式会社が何たるかについて、根本的に理解していない可能性があると考えます。このあたりも「天然」であると考える理由です。
ちなみに公然と謝罪を要求するのもハラスメント行為です。
引用
「西葛西出版や中村氏に対して、経営的なアドバイスをすることは私にはできない。それでも「中村慎太郎個人として、明確に謝罪すべき」とだけは申し上げておきたい。noteでもいいし、YouTubeでもいいし、もう一度スペースでチャレンジするのでもいい。司会が必要であれば、喜んで協力させていただく。
まずは、そこから始めてみてはどうだろうか。いつまでも沈黙を続けるのではなく。」
このように書いているので、上記の有料記事は、恐らく善意なのだと思われます。宇都宮徹壱氏としては痛烈に駄目出しをすることで、自分の権威を示し、手を差し伸べようとしたのでしょう。
この投稿によって我々が負ったダメージは大きく、中村は、有志リリースと宇都宮氏のリリースから持病であった”うつ”が悪化し、生死の境を彷徨うことになりました。
うつ病というのは、脳内物質の一つで幸福感を与えるセロトニンという物質が減ってしまうことによって生じます。2019年からは投薬治療をしているのであまり症状が表に出ないのですが、この時は比喩ですが、セロトニンがゼロになりました。
外で叩かれるのは平気なのですが、信頼していた仲間に突然後ろから撃たれたことはあまりにもショックでした。それによって会社やOWL magazineが負ったダメージも非常に大きかったのですが、これまで信じていて、自分の家族がいる場所に招いたり、料理を振る舞ったりしてきた人達が、一斉に攻撃してくるのは、サイコホラーの世界です。
脳内のセロトニンがゼロになるとどうなるのか。
酷い動悸と手の震えを感じ、目をつぶると死のイメージが浮かびます。これは体験してみないとわからないと思うのですが、自殺願望ですらないのです。生きているけど、脳が死んでいる状態です。つまり、目を閉じると、自然と自分の首が転がっていますし、血がドロドロと流れ出てきます。
脳内物質が増えるためには、投薬し、安静に過ごしても、1〜2ヶ月はかかります。それまではしのぐしかありません。
実際にある程度回復するのに2ヶ月かかりました。もう少し回復したと思えたのは半年後です。今でも調子としては8割くらいなので後遺症はあるかなという自己認識をしています。
とにかく数カ月は生存するために努力する必要があります。私は”うつ状態”に慣れているのですが、大城あしかは未経験な体験であったため、非常に苦しそうでした。我々二人はまずは自分の脳を回復させ、それから会社を建て直していく必要に問われます。
それでも、しのげばなんとかなると考えていました。
五十嵐メイ氏が誤解を解いて名誉を回復してくれるはずだからです。そういう意味では安心感がありました。
五十嵐メイ氏の要望で発言をとめているのに「発言しないとソ連になるぞ」と煽られるのは非常に不愉快でしたが、何とかやりすごすことにします。不愉快ではありますし明瞭にハラスメントと思いますが、あれは善意なのです。
というのも後日宇都宮氏から「静岡本、福岡本の取材に行った時の経費を精算したい」と連絡があったからです。
企画を跡形もない状態まで潰す方向に動いておいて、経費を払えといってくるのは、恐らく、この後も変わらず『すたすたぐるぐる』シリーズは作れるし、そこに寄稿ができると考えていたのでしょう。
一般に、取引をしている会社のことを勝手に書いて、有料記事として売るべきではありません。
こちらは、セロトニンゼロとなり、目をつぶると血まみれになっているのに、有志と共謀してそれを引き起こした本人にそう言われると脱力します。
「経費を払う払わないの前に、取引会社である弊社についてあのように書いたのは何故なのか。有料記事として販売したのはどうしてなのか。説明して下さい。あしかさんは鬱になり、ぼくもセロトニンゼロで生死の境を彷徨っています」という趣旨の返信をしました。
それによって事態の重さに気付いたのか「近々説明します」と返信した後、Facebookの友達解除をし、Twitterはブロックされました。
物書きは間違ったことを書いてしまうことはあると思います。誰かを怒らせたり、悲しませたりしてしまうこともあります。そういうときは真摯に向き合って欲しいと思います。クレームが入ったら、対象をブロックして聞こえないようにするというのは、職業倫理として大きな誤りがある振る舞いだと思います。
ただ、悪意がないのはわかりました。
宇都宮徹壱氏は2023年に新刊を発表することになっているようです。我々西葛西出版も『君がJリーグを認めるまで、僕は歩くのをやめない』の出版に向けて全力で動いています。
どちらの本が面白いかで勝負しましょう。
相手はキャリアも長く、名前もある大御所ライターです。
しかし、表現物で勝負するというのが、物書きとしてあるべき姿だと思います。
私は絶対に負けません。
負けたとしてもすぐに立ち上がって挑戦します。
その上で、狭い業界にいるのでどこかで会うことがあると思います。その時には、どうしてあのような記事を書いたのか直接問いたいと思います。
【五十嵐メイ氏との関係の推移①】
五十嵐メイ氏と私は、信頼関係がある状態で、同じ目標に向かって頑張ってきました。人件費が負担になることも承知してくれていて、そこには感謝もしてくれていました。
当日もスペース後に通話で話合い方針を決めました。
後日、屋下えま氏、五十嵐メイ氏、中村、大城あしか、リモート参加の薄荷氏で西葛西出版オフィスで話合いました。
そこで結論として出たのは、「みんなの責任だし、みんなが足りなかった」ということでした。五十嵐メイ氏が言ってくれたのはこういう趣旨でした。
「いつも中村さんに頼っていて、最後は何とかしてくれると思っていたから全部任せてしまった。スペースも全部任せてしまった。それでもいつも何とかしてくれていたけど、今回初めて失敗をしているのをみて同じ人間なんだと思った」
大城あしかも、薄荷氏も、屋下えま氏も、そして、五十嵐メイ氏もみんなそれぞれ足りないところがあって、人任せなところがあった。もう少しで成功したはずなのに、最後の最後で届かなかった。
「でも、全力で前向きに頑張ってきた結果だから受けいれて次に向かって頑張ろう」
というのも五十嵐メイ氏の発言でした。
私は、五十嵐メイ氏のファン層であるフットサル関係者を怒らせたことについて、謝罪しました。
この時5人は仲間であったと思います。
数日後に、OWL magazine有志のリリースが出て、薄荷氏、屋下えま氏が突然離反したのがショックだったのは、このように顔をつきあわせて話した直後であったからです。
11月、12月は、パブリックエネミーとしてボコボコに叩かれながら過ごしました。Twitterを復活させると、「パワハラのくせに喋るな」と言われます。
逆に、我々を切り捨てた有志のメンバーはOWL magazineの読者を引き継ぎ、人気者になっています。
非常に辛い時間でしたが、時間が解決することもあります。それに、励ましのメッセージをくれる方もいました。特に嬉しかったのが、お名前は迷惑になるといけないので出しませんが、信州編で手伝ってくれた長野パルセイロサポーターのお二人や、町田ゼルビアサポーターの某氏、東京23FCのサポーター、FC東京サポーターの某氏、鹿島アントラーズサポーターの某氏など、励ましてくれる方もいました。他にもいらっしゃったと思うのですが、かなり混乱していたので今すべてを列挙できませんが、多数ありました。
あのスペースを聞いていた方からも、どうしてあればハラスメントになるのかわからないという声もありました。
私としてはやることはシンプルです。
まずは回復すること、会社を建て直すこと、そして本を作ることです。
作品を作って世に出すことが会社としての使命です。『「推し」に押されてリトアニア』も最後の最後まで頑張りました。力は足りませんでした。結果も出ませんでした。しかし、間違いなく努力はしてきました。
12月末日に、忘年会を開催することになりました。
場所は六本木で、五十嵐メイ氏のお勧めのお店です。
この時も我々の信頼関係は失われていなかったと思います。
酷いパワハラを受けていて、やっと離れられたという考えている人は、一般的には忘年会には参加しません。
五十嵐メイ氏は表では付き合いづらいけど、これからも西葛西出版の仕事は裏でやっていきたいと言っていました。
一次会は、フットサルやJリーグのサポーターであり、中村と五十嵐メイ氏の共通の友人をまじえて楽しく過ごし、二次会、三次会へと突入しました。
そして、深夜の六本木のバーで、テキーラを飲み過ぎたあしか氏が転倒し、トイレを破壊するという事案が発生しました。その顛末はこちらに書きました。
相棒がトイレを破壊したせいで、アイドルライブに行くことになりました。
酔った大城あしかを担ぎながら日高屋でラーメンを食べて、それぞれタクシーで帰宅しました。
別れ際に五十嵐メイ氏が言った「西葛西出版、大好きだよ!!」という言葉は生涯忘れないでしょう。我々はどんなに辛い時も、本音をぶつけ合いながら、大笑いをして、頑張ってきました。
そして、それが五十嵐メイ氏と会う最後の機会となりました。
【五十嵐メイ氏との関係の推移②】
忘年会でトイレを破損してしまったあと、五十嵐メイ氏経由で、店長から連絡がありました。その日は1〜3次会まで、すべて五十嵐メイ氏の知っているお店であったためです。
我々は弁償をすることを伝えて、業者が入り、額面が決まるのを待っていました。
額面が決まったとき、五十嵐メイ氏に連絡をしました。すると返ってきたのは、「良かったですね」という言葉でした。
私は違和感を感じて聞き返しました。
「そういう言い方をされると、ぼくらがお金を払うことになったことを喜んでいるように思えるんだけど」
そうではないと言われましたが違和感がありました。そして思わず言いました。
「僕は、あなたに払ったお金や、これまでの在庫が売れづらくなったことなどを含めて400〜500万円の損失を出したのだけど……」
「それはあなたの自業自得でしょ」
そう言われたとき、すべてを悟りました。
「ああ、この人は、我々の信頼や名誉を取り戻そうという意思はないのだ。だけど、動かれると面倒だからという理由で黙っていて欲しいと言ったのだ」
実際に西葛西出版や私について、名誉を回復するような発言をすることは、3ヶ月ちかく経ってもありませんでした。その間、我々は非常に苦しんできたのに、です。
となると、我々はこのままでは潰されてしまうことになります。黙っていると、ハラスメントの加害者であるということが確定して、事実として定着していくことでしょう。
経営があまりにも下手クソであったはその通りなのですが、クリエイターを力で圧迫し、搾取していたというのは現実とは異なります。
五十嵐メイ氏は確かに「私が何とかするから待っていて」と言いました。しかし、それは嘘であったということになります。それについて、責めるつもりはありません。彼女の周りにも有象無象が湧いていたと思いますし、大変だったと思います。
この時点で、我々は仲間ではないことを理解しました。ただそれだけです。
やりとりをしていく中で、彼女は「自分は頑張ってきたのに、中村のせいで台無しにされた被害者」と考えるようになったのでしょう。
確かに周囲の人はそう考えていたし、そう振る舞うほうがやりやすかったことでしょう。そして、そうであれば、受け取っていた「印税の前払い」については、返還しないで済むと考えたのかもしれません。
私は葛藤しました。
五十嵐メイ氏とはこれまでたくさん楽しい想い出を重ねてきました。信頼関係も十分にあったと思います。辛い時もともに乗り越えてきました。
しかし、そんな情に流されては、我々が生み出した株式会社西葛西出版は、永久にハラスメントの加害者としての汚名を着せられることになります。
私は、株式会社西葛西出版の役員です。従って、株式会社西葛西出版に不利になることはできません。忠実に報いる義務があります。
また我々の活動を応援してくれる方、読者の皆さまが、不愉快な思いをしないように最善を尽くす必要があります。それが優先事項です。
五十嵐メイ氏は、法人である西葛西出版のために動いてくれるわけではないことを察しました。
従って、ここで付き合いは断つ必要があります。
家族のように思っていたし、実際に家族のように頼られていたと思います。そういったウェットな情は、ビジネスの世界には本来無用なものでした。ビジネスは冷たいもので、仕事は仕事、契約は契約です。
私は言いました。
「わかりました。それではもう今後は付き合うのはやめましょう。そもそも、表では付き合えないけど、裏では西葛西出版の仕事はしたいというのは、弊社にとっては特に利益はありません。我々は、あの時あったときのことを含めて、すべてを開示し自ら名誉回復をします」
そうなると困ることがあるのかもしれません。五十嵐メイ氏は、自業自得だと言った件については、謝罪をしたいと言いました。西葛西出版の名誉回復のために協力させてくださいとも言いました。ログも残っています。
もちろん、断りました。信頼関係が失われた以上、協調して、背中を預けることはできません。
ただ、五十嵐メイ氏には、パソコンを貸与したままでしたし、オフィスの鍵も渡したままでした。なので、もう一度会う必要がありました。そういった事情もあり、対面で謝罪を受ける点については、了承しました。
ただ、本人は来ることがなく、代わりに弁護士から連絡が来ました。
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受任のお知らせ
(弊社住所)
中村慎太郎様
法律事務所シリウス
○○(本名)代理人 弁護士 中井淳一
当職は、○○(五十嵐メイ氏)氏から、株式会社西葛西出版からの退職等に関する同社及び中村慎太郎様との交渉について、依頼を受けて代理人となりましたので、お知らせ致します。
今後、連絡内容にかかわらず、○○氏(本名)への直接の連絡は一切控えて頂き、すべてのご連絡は当職宛に行って頂きますようお願い致します。
また、今後○○氏のプライバシーに関する事項について、みだりに第三者へ知らせたり、SNS上でアップするなどの行為は、厳に控えて頂きますように強くお願い申し上げます。
以上
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本名や住所などは伏せましたが、原文ママです。
謝罪に来るといっていた五十嵐メイ氏から「今後一切連絡をとるな」と言われ、「プライバシーを人に言うなという強いお願い」がやってきました。どういうわけか、会社宛ではなく個人宛に届いています。
我々は震撼しました。
相手方の代理人になった中川淳一弁護士が所属している法律事務所シリウスは刑事事件を扱っている事務所のようです。
これは大変なことになった。会社を完全に潰されるまでやられるかもしれない。そう考えて、防御策を練る必要が生じました。
まさか完全に敵に回って攻撃をしかけてくるとは思わなかったのですが、私に情や甘さがあったのでしょう。
まずは、相手側の弁護士に電話をしてみました。
というのも「また、今後○○氏のプライバシーに関する事項について、みだりに第三者へ知らせたり、SNS上でアップするなどの行為は、厳に控えて頂きますように強くお願い申し上げます。」という文言の意味が正確に取れなかったからです。
「〜〜たり」という助詞は「〜〜たり、〜〜たり」と2つセットで使うのが普通です。また「SNS上でアップする」というのは、文字面だけを読むと、TwitterなどのSNSの上に物理的に乗って、その上でウォーミングアップをするという意味に読めます。
日本語のエキスパートであるはずの弁護士が作成したものかどうかが疑わしく、本当に弁護士が実在するのかどうかを確認する必要がありました。
すぐに電話して確認しました。
すると、驚きの事実がわかりました。こちらが考えていたような重い依頼を受けたわけではなく、五十嵐メイ氏は「貸与されていたパソコンとオフィスの鍵を返還する必要があるのだが、自分で発送できないので代わりに発送する」ことを依頼されていただけと言われました。
民事や刑事で争う気があるのかと中川弁護士に直接電話で聞いてみたのですが、そういうつもりはないとのことでした。
またプライバシーとは何かについても具体的には聞いていないということでした。
しかし、我々は震撼しました。
五十嵐メイ氏は、弁護士に費用を払い、依頼してまで、我々と対立姿勢を取ろうとしてきているわけです。代理人は争う気はないと言っていますが、ブラフかもしれません。突然豹変して面倒なものを突きつけてくる可能性があります。
この状況でどうしたら生存できるのか。
西葛西出版はただでさえ追い詰められていました。その状態で、味方としてかばってくれると期待していた五十嵐メイ氏が突如このような通知を突きつけてきたわけです。
少しでも気を抜けば、わずかに残った名誉も、会社の運営費もすべて奪われてしまいます。どれもこれも、自分が甘かったせいというのはあると思います。人を信じるという行為の無力さを感じました。
まずはこちらも法律について相談できる人を探す必要があります。そう考えて、信頼できる知人に弁護士事務所を紹介していただき、顧問契約を結びました。
相手方もいるので詳しくは書きませんが、顧問の先生のアドバイスによって、この難局の切り抜け方も理解してきました。
大きなところだけご説明すると、我々西葛西出版は言論機関であるため、法律に頼って名誉毀損や侮辱をされたと訴えていくよりも、言論によってしっかり反論していくほうがいいというのが結論です。
そのため、このリリースを出すことしました。このようなリリースを出すことには、賛否両論があると思います。もしかしたら「否」のほうが多いかも知れません。しかし、我々にとって大事なのは黙っていることではなく、何であろうと発信していくことです。それが我々の仕事です。
その後、少しずつTwitter(現X)を通じて、この時の事象を外に出していきました。不穏な空気にフォロワーは減り続けましたが、流れを変えるためには必要だと考えました。
我々が、初手で「待ち」を選択したのは、五十嵐メイ氏が我々の汚名を晴らしてくれることを期待していたからです。こうやって完全に敵対されてしまった状況となったからには、自ら発言していく必要があります。
我々が本の中止を強制したのではなく、五十嵐メイ氏の強い意思であること。他の出版社から出していないのは我々が妨害していないことを発表すると、それはセンセーショナルであったらしく、本人に問い合わせがいったようです。
また、五十嵐メイ氏が無償ではなく、業務委託として12カ月の間働いていたことも、驚きとともに受け止められました。
ちなみに、新品を購入して貸与したmacbookと、オフィスに気軽に来れるようにという願いを込めてマイメロちゃんの装飾を着けてあった鍵は、普通の宅急便で弊社に送られてきました。
パソコン専用の便ではないため破損の心配もありますし、大切なオフィスの鍵が裸で送られてきたことに……、言葉にはならない無念さが溢れてきました。
養生テープで雑につけてあるので、輸送中に紛失するリスクもあります。この荷物を開封して、私と大城あしかは、戦慄しました。
マイメロちゃんの鍵は一度も使われることはありませんでした。
我々のほうが早くオフィスにきて、遅くまで仕事をしていたからです。
週2日、オフィスを訪れて、原稿を書くように提案していたのですが、そもそも週1日来ればいいほうで、いつも理由を付けてキャンセルされていました。
そのことに対して優しく対応していたことも良くなかったのでしょう。とはいえ、原稿を引き渡してもらう契約をした業務委託であるため、勤務態度をとがめることはできないという状況でした。
弊社に未熟さ、甘さはあったと思います。
しかし、仕事は仕事、法は法です。
我々は、五十嵐メイ氏に対して、彼女の望んだ弁護士を立てて争うというフィールドで、徹底的に戦うことにします。
ハッピーエンドにはなりませんでしたが、これが真実のストーリーです。
もちろんこれは我々から見たストーリーなので、相手方からはまた違った意見も出ると思います。それが公開されることもあるでしょう。それについては我々が、反省して対応するべきことはするし、必要ならば徹底的に反論していくことになると思います。
この先どうするかは、裁判を行う可能性もあるため詳しく書けませんが、我々としてはこのまま終わらせることはありません。
もし、皆さんの会社の同僚が、自分たちに汚名を着せたまま、こういう対応をしてやめていったら怒る方が多いのではないでしょうか。
法人としては、こういったものに対応しない方が間違っていると思います。
口約束で進めていたことが多かったこともあり、決して有利な戦いではないかもしれません。しかし、最後の最後まで戦おうと思います。
【有志事案の顛末】
OWL magazine有志はどうなったのか。
この件が、一番よくわからないと言われることがあります。実際に、当事者である我々からしても意味がわかりません。しかし、気になる方も多いところだと思うので、わかる範囲で説明します。
こちらの目線からいうとこういうことになります。有志はメディアの乗っ取りを企み、それができないとなると、非難声明を出し、読者を奪いながら独立していくことを試みました。
そこまであくどい意図はなかったのかもしれませんが、我々からするとそういうことになります。
まず、彼らは代理人を立て、未払い金の請求をしてきました。
その中には妥当なものも多少含まれていたので、それについては対応したいのですが、「契約していない仕事」、「まだ書いていない原稿の原稿料、取材費」や「約束していない報酬」の請求などが多数含まれておりました。
額面は86万3961円です。
代理人の豊田剛資あてに振り込めと書かれています。振り込み期限はありません。2022年の年末に代理人とメールでやりとりしたあと、1度ZOOMなどで話そうと提案しましたが、日時の調整がつかないままになっています。
以下の人物の連名です。
キワタユウ
高木けんすけ
J3女子大生のんちゃん
須羽リセル
もりたくろう
斎尾俊和
さかまき
KAZZ
Harako
彼らは、西葛西出版がもう倒産すると思ったのかもしれません。だからふっかけてお金を取ろうと考えたのではないでしょうか。
恐らく、西葛西出版と中村慎太郎は社会悪になっていたので、叩く側に回ったほうが有利だと計算したのでしょう。しかしながら、彼らの行動はほとんど支持されませんでした。五十嵐メイ氏を取り込もうと動いたようですが拒否されていました。
高木けんすけ氏は、五十嵐メイ氏と食事に行く仲であることを枕詞のようにつけ、「おまえは本当に酷い、差別主義者だ」とメッセージを送ってきました。これは、OWL magazineのYoutubeLIVEをこっそり見ていて、そのときの発言が差別にあたると考えたようです。
「あなたは代理人を立てていて直接交渉を禁じられている」といっても、「代理人を言い訳にするな」と言いながら、次々と非難メッセージを送ってきました。代理人を立てているのは、私ではなく、高木けんすけ氏です。
高木けんすけ氏の言う「自分と五十嵐メイ氏は一緒に食事に行く仲だが」という枕詞ですが、確認したところ、五十嵐メイ氏は一緒に食事に行ったという事実はないそうです。高木けんすけ氏とは友人ですらないので勝手に語らないでほしいとのことでした。
五十嵐メイ氏に連絡を取り、食事に行った事実はないと確認したのち「嘘つきとは連絡とれません」と告げて、ブロックしました。
彼はさいたま市の政治家として立候補する予定だと聞きましたし、その時は応援しようと思いましたが、私は手伝う気もありませんし、支持もしません。弊社が苦境にあるときに、直接対話することをせず、一方的に公然と非難声明を出した人物です。
新メディアを作るのであれば良かったのかもしれませんが、1年近くたった今、1度も更新されていません。更新どころか、メディアがどこにあるのかもわかりません。どんなメディアかもわかりません。
であれば、勝手にOWL magazineの名前を使った非難声明を削除して欲しいものです。この点については、リリースを出して以降強く要望していこうと思います。
有志たちは、西葛西出版の仕事を受けながらも、瞬時に寝返ったことで、どちら側からも攻撃されるという蝙蝠的な位置取りとなりました。
だからこそ、西葛西出版が悪であるという姿勢を取らないと、自分たちが悪になってしまいます。私に言わせればメディアを立ち上げると言っていて、1年間何もしなかった時点で、言論人としての勝負はついています。
五十嵐メイ氏に関しては、最後は揉めましたが、こういう不誠実な動きは一切していないことは強く保証します。今は、法に基づいて解決しなければならなくなりましたが、我々は2023年2月までは仲間でした。
彼女は、OWL magazineが存続の危機にあり、私が自信を失っているとき「OWL magazineと中村慎太郎の編集力の価値を説き、二人になってもやっていこう」と励ましてくれました。
財政難でタクシードライバーをしながら、私は、OWL magazineを個人事業で進めながらも経済規模が小さく、クリエイターの生活を保障できないことに悩んでいました。だから起業をしようと考えました。
タクシードライバーをしながら起業を考えているとき、「西葛西出版」という社名を思いついたときは、すぐに彼女に電話しました。
「うーん、いいんじゃないかな、うん、いいと思う!西葛西出版いいと思う!」
五十嵐メイ氏がそう太鼓判を押してくれたから西葛西出版は誕生しました。彼女の観察眼、感覚はやはり素晴らしいものがあると思います。私は心から頼りにしていました。
もし万一、彼女が苦境にあり、私を頼ってくるようなことがあったとしたら、その時は、かつての仲間として相談にのりますし、協力できることはします。
立場は変わってしまいましたが、私は、五十嵐メイ氏の今後の活躍を本気で祈っています。
いつか、私や西葛西出版が作っているものを超えていくとしたら、その時は兜を脱いで1人酒を飲もうと思います。もちろん、負けるつもりはありませんが。
抜けていった有志の人達は、声の大きい人に流されたというのはあるのかもしれません。代理人との契約を解除し、個別に話をしたいという要望があれば受けようと思います。
【全日本プロレスの誓い】
最後に蛇足ながら、西葛西出版に残された中村慎太郎と大城あしかの物語を付け足します。
2022年の11月頃であったと思います。仲間だと思っていた人に突然敵意を向けられるのは非常にしんどいことで、弱り切った大城あしかには10日ほど休んでもらいました。
一応職場に復帰したあと、私と大城あしかでずっと話をしました。
そんな中で、私ははじめて弱音を吐きました。
「企画していた本が全部出せなくなっちゃったし、もう叩かれすぎて疲れてきたね。先も見えないし……。もう西葛西出版は、やめちゃおっか」
それに対して大城あしかは、絞り出すようにこう答えました。
「もう少しだけ頑張りましょうよ」
弱り切った中で言ったその一言が、私の中に炎を宿しました。
よし、もう少しだけ頑張ろう。
とはいっても、二人ともセロトニンが足りません。無駄に長距離を歩きながら、今回の事案について考えました。これは五十嵐メイ氏とも話したことですがキーワードは「保身」でした。「保身」をしようとした人物は、おかしな暴走をして、評価を落としていきます。
一方で、中村は「保身」をしなかったから、今は大変だけどきっと何とかなるはずだ、と。
どうして有志は離反したのか。それは、中村の仲間だと思われると叩かれるリスクがあるため、早急に切り離すことにしたのでしょう。
この騒ぎの中で、何とか「保身」をしようという人の本音が見えていく中で、私も大城あしかもうんざりしていました。
我々は「保身」のために切り離されましたが、五十嵐メイ氏は「保身」のためにすり寄ってくる人に苦労したのだと思います。そういう意味では同志であったといえます。しかし、その立場の違いが、後に決定的な断絶を生むことになりました。
ふらふらしている大城あしかを心配してよく自宅まで徒歩で送っていました。セロトニン量の回復にはウォーキングが非常に有効なのです。
ある日、我々は仲間を全員失って2人になってしまったという話になりました。三沢光晴というプロレスラーが独立したとき、全日本プロレスはたったの2人になってしまったというのだそうです。当時の全日本プロレスは、川田利明、渕正信という2人の選手だけになりました(正確に言うと馳浩、マウナケア・モスマンもいたかもしれません、蛇足ながら)。
我々はプロレスの話をたくさんしました。大城あしかはプロレスが大好きなので、プロレスの話なら楽しく話せたからです。
我々は葛西・西葛西の街を歩きながら、戦略を練っていきました。
まずは書籍についてです。
誰が書くかが問題です。
途中で離反声明を出していなくなるような著者に頼るのはリスクが高すぎること、五十嵐メイ氏も十分な時間と、生活の保障をした上でも書き進められなかったことを踏まえると、中村慎太郎が単著として書くのがもっとも妥当かつ速いです。
なので中村慎太郎の単著を出すことを決めました。
次に信頼回復、名誉回復についてどうしていくかです。当初はハラスメントのセミナーをビデオ受講したり、書籍を読んだりしていたのですが、調べれば調べるほど、パワハラには該当しないことがわかりました。
当人がハラスメントを訴えているわけではなく、オーディエンスがハラスメントだと感じたことについては、会社としても、個人としても誤解があったとしか言いようがありません。
もちろん、世間一般におけるハラスメントは大きな問題になっていますが、我々の場合には該当しないと考えました。
実際に、我々がパワーハラスメントだと考えられたのは、関係者である宇都宮徹壱氏が当事者への聞き取りがなくハラスメントがあったと断言したこと、書籍の刊行中止が本人の強い希望を汲んだ上であったことが理解されなかったことが大きいと考えています。
実際に、12カ月にあたり生活を保障できるだけの金額を支払っていたことを伝え、書籍のPRも仕事として約束していたことを伝えると、それがハラスメントとは言えないという意見がほとんどでした。
もっとも、当人がハラスメントがあったと訴えてきた場合には話は別になりますが、現在のところはそういう事実もありません。もしかしたら相手方が訴えてくることはあるかもしれません、その時は、全力で否定しますし、裁判になるなったとしても、力の限り戦います。
我々がパワハラをしたという根拠は、我々が自分で謝罪しているから、事実であったに違いないというものです。
つまり、我々の謝罪文が根拠になりパワハラと断定されるという状況になっているため、訂正が必要だと考えました。
ただ、一度ついたイメージというものはなかなか消えないものです。私も面倒になって「もうやめようか」と一度は言ったくらいです。なので、印象を変える作戦を思いつきました。
それがYoutubeLIVE番組を立ち上げること。長時間、顔と声を出すことで、我々二人に対するイメージを変えてもらおうと思いました。実際にその試みは成功し、10ヶ月かけて登録者は約1500人、LIVEの同時視聴者数は30〜60名様ほど、後からの視聴を含めると200〜400名の方に見てもらえるようになりました。
話し方が不愉快である、ハラスメント体質であるという声はなく、非常に高い評価を頂いております。
そして番組中に、「中村慎太郎の単著」「静岡のように全国をウォーキングしていく」「サッカーのある町を一筆書きで繋いでいく」というアイデアを連続的に閃いていきました。
それが『君がJリーグを認めるまで、僕は歩くのをやめない』というタイトルとなり、実際に取材に趣き、今は執筆と制作を同時に進めています。
5,6月に行った第一次先行販売では、約70万円と大成功を収めました。
中村慎太郎と大城あしかは2人で歩み始め、Youtube番組を通じて旅の仲間を得ました。ライター業などをしながら何とか会社を存続させ、2023年中に書籍を刊行します。
西葛西出版の回復と、再挑戦というテーマはここで一つの完結です。
これから我々は『君がJリーグを認めるまで、僕は歩くのをやめない』というシリーズを育てながら、西葛西出版で本を出したいという著者がいれば、魂を込めて製作し、一生懸命売っていくことを繰り返していきたいと思います。
もしかしたら、また炎上することはあるかもしれません。
というよりも、このリリースが原因でまた一悶着ある可能性は高いです。
しかし、我々はどのような炎に焼かれても、止まることはありません。何度倒されても立ち上がり、前に進んでいきます。
西葛西出版とOWL magazineは何度でも蘇ります。
そして、読者の皆さまに真実を伝え、その上で、夢を語ろうと思います。
私には信念があります。
完璧な人間などいない。
来る者拒まず、去る者追わず。
一生懸命仕事をして、おいしいものをいっぱい食べる。
契約や財務など会社としてはもっとしっかりする必要がありますが、西葛西出版としても人を信じることは大事にしていきたいと思います。これからも人のもつ可能性を信じ、創作へのエネルギーを発揮していきたいです。
西葛西出版は、経験不問、やる気と覚悟さえあれば、誰の話でも聞きますし、可能な限り出版できるように寄り添います。
株式会社西葛西出版
著者、編集者、代表取締役社長
中村慎太郎
編集者、取締役副社長
田中隆幸(大城あしか)