2023年、皆さまはどのようにお過ごしでしたでしょうか。
我々西葛西出版の一年間は最低最悪というべきものでした。これ以上悪いときはないというくらい酷い状態で、どこへいっても敵だらけ、メンタルは落ち込むし、フィジカルも弱るし、夏は暑すぎるし、お金はまったくないしで、何もいいことがありません。
売上も全然なくて、書籍の販売数は指で数えられるほどです。地道に書いていた納品用のライティング原稿以外には際立った執筆もしていません。『君がJリーグを認めるまで、僕は歩くのをやめない』の企画を立ち上げ、取材、執筆をしていますが、正直言って絶不調です。
こんな我々であっても応援して下さる方がいるので、何とかがんばらないといけないなと思うのですが、音楽が鳴らないんですよね。音楽が鳴らないと、私は著者として凡人以下で、ちっとも良い文章が書けません。書いては没、書いては没の繰り返しです。
音楽というのは何かというと、頭の中に鳴っている音楽です。コーエーが出している『維新の嵐』というゲームがあります。これは、大阪府を維新の会が席巻する話ではなく、幕末時代の人物となって西へ東へと飛び回るゲームです。はっきりいって、あまり面白いゲームではないのですが、新撰組が池田屋に乗り込むシーンの音楽がとても良くて、ずっとずっと頭の中で鳴っています。
幕末維新史は、個人の列伝としては面白いのですが、大きな流れとしては非常に地味です。戦争も小規模だし、根回し、寝技で勝負が決まります。だけど、新撰組だけは別でした。幕末史を俯瞰して見たときに、組織としては新撰組だけが、命を削る激しい戦いへと身をさらし続けていました。
もちろん、会津藩、長州藩などもそうなのですが、藩という単位で見るとやはり大きな国家のようなもので、命を晒してヒリヒリする感覚は得られません。幕末史は個人の列伝としては面白いが、組織同士の戦いとしては非常に地味なわけです。
そこで新撰組ですが、池田屋の変という幕末史における英雄譚があります。個人的には吉田稔麿という長州藩士が好きなのですが、涙を呑んで割愛します。ゲーム『維新の嵐』では池田屋のシーンが、実に印象的に描かれていました。ゲーム自体はつまらない碁盤目式のシミュレーションなのですが音楽がとても良かったのです。あまりにも地味なゲームであったため、池田屋の変が強く印象に残ったのでしょう。
とはいっても今になって聞き直してみると、あの時とは違う印象です。池田屋の変の音楽は、ぼくの中ではまったく違う存在になって鳴り続けていたようです。革命の音楽として。いや、池田屋は革命ではないのですが、それは高校生の時の僕の認識として、そのように成立していたようです。
こういった音楽だけではなく、僕の中には色々な音楽が鳴っていました。しかし、今年はほとんど鳴ることがありませんでした。4万字のリリースをこのサイトで出しましたが、あの時はショパンのエチュード「革命」をリピートで300回くらい流して、強引に音楽を鳴らしました。
しかし、それは真実の音楽ではないのです。真実の音楽は内発的なものであり、宮沢賢治のいう「透明の力」で内面を満たしてくれるようなものである必要があります。だから、今年の僕は、著者としてのセンスをすべて失った状態で戦うことになりました。
会社はボロボロ、名声も地に落ちました。それどころか犯罪者以下の扱いをされました。展開していた企画も全て潰えて、仲が良かった人がすべて唐突に敵として攻撃してきました。そんな中でも見方をしてくれる人はたくさんいたし、何より相棒のあしか氏がもう少し頑張ろうと言ってくれたので、頑張ることにしました。
2023年、『ベルセルク』のガッツのように足掻き続けました。地獄の中で、光を求め、戦う力など残っていないけど戦い続けました。その結果、Youtubeは収益化し、再生数も12万回を超えました。少し光が見えてきました。
そして、ここ数日、音楽が戻ってきました。
あ、鳴っている!!
鳴っている!!
それは常夏の島に気まぐれに降ってきた雪のようなもので、魂が震えるほど嬉しい瞬間でした。もしかしたらきっかけは息子の一言かもしれません。
「パパー、最近どうー」
不意に聞かれた僕はこう答えてしまいました。
「いやー……、いいことなんか全然ないし、お金もないし、もう失敗人生だよ。パパみたいな失敗人生を送らないように頑張ってね」
そんなことを子どもに言うつもりはなかったのですが、この1年を象徴するような一言だと思います。僕は、いや、我々は地獄の中で疲れ果てていたのです。そのくらい他人の悪意を浴びるというのは疲れることです。
すると息子は言いました。ちなみに小学校5年生です。
「パパはやりたいことを仕事にしているんでしょ。それっていいことだと思うよ!世の中にはブラック企業に勤めて辛い思いをしている人もいるんだから!楽しんだからいいことだよ!自信を持って!」
反射的に息子を抱きしめ、弱音を吐いてしまった自分を恥じました。もっと頑張らないといけない。夢に向かって駆け抜ける、勇気のあるパパを見せないといけない。
僕の人生は間違っていない。それを証明する2024年にしよう。卑怯者には卑怯な本しか書くことができない。本物の本は、本物にしか書けない!!
だから、逆に言うと、本物の本を書くこと、作ることができれば、僕と、西葛西出版の歩みは、証明されるはずです。
2024年は、とても大変な年になるだろう。タクシーに乗りながら、本を書いて、本を作って、資金繰りをしないといけない。それでもこの1年よりはずっとマシになるはずだ。
音楽はもう鳴り止まない。
中村慎太郎